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洗脳とカルト宗教

洗脳とは、強制的に世界を解釈するフレームを変更すること。マインドコントロールは、そうしたフレームを誘導によって徐々に変更していったり、意志決定をコントロールしていくことだ。

カルト宗教とは、神秘体験などをさせることなどにより、教祖などを狂信させる宗教であり、信者を原理主義的にしていく宗教である。日本では地下鉄サリン事件以降、こうしたカルト宗教が有名になった。
そうしたカルト宗教は、親族と決別させ外部からの情報を遮断し、時に密室に閉じ込めたり暴力を振るうことで自我機能を低下させ、自分たちの教義にそう考え方しかできなくなるように洗脳していく。
こうしたカルト宗教の勧誘の際、信者は善行として勧誘にやってきているので取扱が難しい。
まともに話をしても通じないので、相手の持つ原理主義的なフレームの中から、徐々に脱洗脳していくというのも一つの方法である。
洗脳カルト宗教の勧誘に来た人を逆に説法して脱洗脳を試みた
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承認欲求

承認欲求とは、人から認められたいという欲求にはなるが、それは虚像である。社会を形成して生きる人間の持つ基本的な欲求であり、誰でもこの欲求はもっていると言う人もいるが、それは自己のアイデンティティ、尊厳を他人に依存している形になる。他者に依存している状態では心の安定はない。なぜなら他人の気分、そして他人からの評価はその場限りだからだ。諸行無常ゆえに変わってしまう。常に変化するものにしがみついているような状態だ。そんな「承認」という虚像にすがっていてはいけない。そのことに気づくことで承認欲求の領域から脱することになる。

尊厳・自尊心と承認欲求

怨恨感情の克服

怨恨感情とは羨望ではなく恨み、嫉妬にあたる感情であり、弱者はその弱さゆえに強者に対する不満や憎悪をストレートに表出することができないため不満や憎悪を強者に対する怨恨・復讐に向ける。これはルサンチマンの部類に入るが、怨恨感情の克服にはそうしたルサンチマンが虚像であることを見抜くのが早い。

怨恨と復讐 ルサンチマン

諸行無常と恋愛

すべては変化するという「諸行無常」は恋愛する人たちにとって、目を塞ぎたくなる非情なものです。本来仏教上の諸行無常とは、「全ての形成されたもの」は不変ではなく固定的ではないという事を意味します。仏教の根幹をなす理であり、それは仏教的な主義ではなく、世界の法則を示しているにしか過ぎません。
この諸行無常の諸行にあたる「形成されたもの」とは二人の関係、つまり人間関係だけでなく、相手の存在も、そして、「好きだという気持ち」すら対象となります。
通常諸行無常と言えば風景の変化といったように社会の中の変化などを表現する時に使われたりしますが、「形成されたもの」であるため、相手の心理状況も自分の気持ちすらも「諸行無常の対象」となります。
しかし、一方で諸行無常であるからこそ、二人は出会い、そしてお互いに愛し合うようになったということです。変化がないのならば、二人が出会うことも、心に変化が起こることもありません。
諸行無常 諸行無常と恋愛は相性が悪いように見えますが、諸行無常は普遍的な理を示すので、その中で自分の心をどう扱うかという部分しか手を加えることはできません。 すべてが変化していくということを前向きに捉えることもできるはずです。

お金を貸す人の心理とお金を借りる人の心理

お金を貸す人の心理とお金を借りる人の心理。

お金を借りにくる人の特徴と心理は、無計画、浪費、あまりよく考えないということ。お金を借りる人にとって、お金を貸してくれる人はどのように映っているのか?人からすぐにお金を借りる人は、「己の成功法則」しか見えていない。
お金を借りる人の心理としては、いい人だと思われたいというものと、相手を救いたいという心理がある。お金を借りに来る人がいたとすれば、お金を貸すことで相手を助けるのではなく、そうした意識の甘さを指摘するチャンスとして要求を拒絶するのが正しい。

お金を貸す人借りる人

うつ症状は自力で克服することができる

うつ症状は自力で克服することができる。うつ病が疑われた場合は、すぐに病院で受診し精神科医から向精神薬をもらい、うつの治療を行うというのが一般的には言われています。でも鬱にかかり、鬱が治ったきっかけは向精神薬ではないケースが普通です。

うつの原因を自力で克服する


うつ病を作り上げた原因を克服しないとうつ病が治ることはなく、鬱が完治して、 また元と同じ自分になったら、またすぐ再発するのだと思います。嫌な仕事を今すぐ 辞めるというのも、うつ症状を自力で克服するよい選択肢です。「うつ」を自力で克服する場合、最終的には克服とは別物になります。うつ病によって単純に体が弱っていて、気分も落ち込んでいるという場合の改善である「ある程度元気になる」というのは本質的な克服とは少し違います。やり方次第で、うつ症状は自力で克服することができます。
うつを自力で克服する

人生の空白期間

人生の空白期間と空白期間への恐怖。
間や空白に対する恐怖と勇気。確かに空白期間があったら、人生終わるくらいに思っている人はまだまだいると思います。しかし、実際はそんなことはありません。人生において「何もしないこと」に対してなぜか恐怖心が起こる。傍から見るとサボっているように見える。何らかの事情で休職したり、 無職になることがある。空間の埋まりや連続性が止まる恐怖がある。誰が決めたともわからないルールに縛られ、自分の気持ちに正直になれないのは生きにくい。空白期間というのが病気か何かだとしたらなおさら問題はない。間や空白に対する恐怖と勇気

M女性への加虐による「被虐と精神的解放」

M女性への加虐による「被虐と精神的解放」。マゾヒスト=被虐性異常性欲者。マゾヒストの女性=M女。女性の中には多少乱暴に扱われたい、痛いのが気持ちいい、苦しいのが好き、恥ずかしいのがとっても興奮する。
表面的な要望をこなすことと、意識の裏側まで見抜いて要望を抽出し、解放することは別物。
絶対的な力に包まれること、抑圧されたものを吐き出すこと、そこに無意識の解放があります。
だから単に加虐と被虐だけの関係ではないのです。
M女被虐と解放

いじめがだめな理由

いじめに善悪はない。 なぜいじめをしてはいけないのか。 いじめはいけないことだと思う。しかし、考えてみるとなぜダメなのかその理由が明確に説明することができません。いじめに関して自分はやってもいいけど、自分がやられるのはダメ(本能的に拒絶)。問題は、なぜ悪いことなのか、その理由が理解できていないことにある。人をいじめてはいけない理由があるとすれば、それはいじめる対象の反応に自分の感情がコントロールされてしまい、自分の感情、ひいては安心感や幸福感に「外界の状況」という条件を増やしてしまうことだ。

なぜ、人をいじめてはいけないのか

恒常性維持機能の基準値

心理的な恒常性維持機能(ホメオスタシス)ついて。

狭義の恒常性維持機能は、ある安定した状態を保とうとする本能的な生理機能のことです。、体が本来持っている機能です。単純に健康体でいようと機能することです。

この恒常性維持機能が心理学的に扱われ、自己啓発のような情報が出回っています。

「ダメな自分を変えたいのに、変えられないは恒常性維持機能が働いているから」というものです。

ダメな自分と判断したのは誰でしょうか。その判断基準を作ったのは誰でしょうか。そして、その勝手に決められた「ダメな自分」をデフォルト値に定めたのは何なのでしょうか。

自分を守ろうとするような機能である恒常性維持機能が原因で、「自分はなんてダメなんだ」と自責のストレスを感じるというのは本末転倒です。